種苗法改正案について(少し長文)
種苗法改正案に対しては、自家増殖を原則禁止とする規定をめぐって一部の関係者などから強い懸念の声が上げられ、本年3月3日の閣議決定後、国会での審議入りが遅れている状況です(5月20日には与党が今国会での成立を断念とも報じられています)。
※「自家増殖」とは、農業者が収穫物の一部を次の作付けのための種苗として使用することで、「自家採種」ともいいます。
筆者のように知財に関わる者にとっては、知財制度の一つである種苗法に世間の注目が集まることは興味深くもありますが、議論の対立の深さを知ると、そう”お気楽”でもいられません。本稿では、改正案への賛否の表明ではなく、自家増殖の制限のあり方について議論を深めるにはどのような観点が望まれるかを考えたいと思います。
各種報道によれば、自家増殖を原則禁止とすること(以下、単に「自家増殖禁止」ともいいます)への反対論は、主に、以下の二つの懸念に基づくように見受けられます:
- 自家増殖禁止は登録品種の海外流出防止には役立たないのではないか?
- 自家増殖禁止は農家に過度の負担を生じさせるのではないか?
1点目は自家増殖禁止のメリットが小さいのではとの懸念、2点目は自家増殖禁止のデメリットが大きいのではとの懸念ともいえます。それぞれ検討してみます。
海外流出防止策としての自己増殖禁止について
農水省のホームページに掲載された「種苗法の一部を改正する法律案の概要」によれば「自家増殖の見直し」は「育成者権者の意思に応じて海外流出防止等ができるようにするための措置」の一つと位置付けられています。つまり「自家増殖の見直し」の目的は「海外流出防止」のためと説明されているわけです。けれども、そもそも自家増殖禁止で、なぜ、海外流出を防止できるのでしょうか。
種苗法改正案の作成に先だって、昨年「優良品種の持続的な利用を可能とする植物新品種の保護に関する検討会」という長い名前の有識者会議が開催され、その検討経過などの資料がホームページに掲載されており、その一つに「とりまとめ参考資料」なるものがあります。これによれば、現行法では(自家増殖が原則として認められているために)「種苗生産及びその後の利用の実態把握が困難となり育成者権者の目が届かない」「このため、海外への種苗の流出に繋がるリスクがある・・」とされています(下線筆者)。
要するに、自家増殖禁止(許諾を得た場合以外は自家増殖不可)とすれば育成者権者が「実態把握」をしやすくなるので、それが海外流出への抑止力になる、という考え方のようです。海外流出を防止するために「流出先」つまり現地国での対策だけでなく「流出元」つまり国内での対策も必要だというのは、一般論として分からなくはありません。ただ、一般論として想定された流出防止策が、現実に実効性を示せるかどうかは別の話でしょう。
例えば、改正案の下でも(特許発明の個人的利用が権利侵害にならないのと同様に)登録品種を個人消費のために自家増殖させることは制限されないので「実態把握」のしようもなく、そのような自家増殖を起点とした海外流出は止めようがないのでは・・などと想像してしまいます。自己増殖禁止が海外流出防止に実際にはあまり役立たないとしたら、そのような理由で禁止規定を設ける必然性は大きくないことになります。法案作成者が「いやいや、海外流出防止の効果は大きいのだ」と考えているのであれば、具体的な理由を踏み込んで示してほしいところです。
自己増殖禁止による農家の負担について
先に挙げた「とりまとめ参考資料」の引用箇所には、じつは続きがあります。「このため、海外への種苗の流出に繋がるリスクがあるとともに、育成者が正当な対価を得ることが困難となり・・品種開発が進まない」とされているのです(下線筆者)。これを読むと(自家増殖が原則として認められている)現状では育成者が正当な対価を得られていないという問題意識があり、自家増殖禁止とすることで育成者(育成者権者)がより多く対価を得られれば、それが品種開発を進めるインセンティブになるはず、という考え方がされていることが伺えます。
これに対して、一部のメディアでは、権利者の許諾なしに自家増殖ができなくなることが農家に打撃になるのではないか、日本の農業の弱体化につながるのではないか、といった懸念が報じられています。とはいえ、自家増殖禁止が農家にとって具体的にどのくらいの負担増になるのか、懸念する側からの個別事例の紹介は見当たりません(現行法でも自家増殖を対象植物を指定して例外的に禁止することは可能であり、この「例外的」な禁止対象は昨年時点で387種類にも及ぶため、これらの既に禁止対象となった植物の栽培現場での農家への影響を精査すれば「こんなに負担が増えた」という事例を拾い上げることも可能ではないかと思われるのですが・・)。
農水省のホームページでは種苗法改正案について「よくある質問」という項目が設けられ、その中では「自家増殖に許諾が必要となると、農家の生産コストや事務負担が増えて営農に支障が出ませんか」という質問に対して、「自家増殖に許諾が必要となるのは、国や県の試験場などが年月と費用をかけて開発し登録された登録品種のみです。・・」等の回答がされています。少し分かりにくいのは、種苗法の品種登録は「国や県の試験場」以外の民間企業も当然可能であり、反対論者は民間企業(特に外国企業)が高額の許諾料などを設定する状況を懸念しているようであるところ、回答では、そこにはまったく触れていないことです。「もし許諾料が高過ぎるのだったら、許諾が必要ない一般品種を栽培すればよいだけのことではないか」ということかもしれませんが、実態としてそれほど単純な話なのか、少しモヤモヤが残る部分です。
なお、育成者がより多く対価を得られるようにして品種開発を進めるという観点についていえば、国内での新品種の開発を促進することは日本の農業のためにたしかに重要でしょう。ただ、そのような目的のために、新品種の開発者を国籍に関わらず保護する種苗法上の権利を強化するのがよいのか、むしろ別の枠組みで国内機関や国内企業による品種開発を支援・奨励する方がよいのかについても、議論の余地はありそうです。
まとめ
種苗法(及び関連法規)を通じて種苗開発者、農業生産者など各種関係者の利益をどうバランスさせることが、全体として産業(農業)を発展させることにつながるかは、非常にデリケートで難しい問題だと思います。権利が強過ぎても、弱すぎても、それぞれ弊害があることは、知財の対象が特許(発明)でも種苗(品種)でも、ある意味共通するところでしょう。種苗法についても、事実に基づく客観的な検討を通じて、今後さらに議論が深められることを期待しています。
参考記事
『「種苗法改正案」農家に打撃懸念 地域農業守る「在来種保全法案」を』 東京新聞 2020年5月14日朝刊
『タネから考える生物多様性』 読売クオータリー 2020春号(2020年5月1日)
『「陸海空の現場~農林水産」「種子ビジネス化」 第2ラウンドへ』 共同通信社ニュース解説・特集 2020年1月14日
(最終アクセス日はいずれも2020年5月22日)