「顕著な効果」について、若干の国際比較

以前の記事でも取り上げましたが、特に化学・バイオ分野でしばしば議論になる、発明の顕著な効果について、もう少し考察してみたいと思います。

この種の論点が取り上げられる知財判決は医薬分野のものが非常に多く、概要を把握するためにまず技術の詳細を理解しないといけない点がハードルになる場合もあります。その意味で、特許判例百選[第5版](有斐閣、2019年)に掲載の判例69(シュープレス用ベルト事件;平成24年(行ケ)第10004号)は、特許の技術内容が比較的シンプルであり、検討の素材として扱いやすいといえそうです。本稿は、この判例について、日欧米の比較検討を試みます。

判例の事案をざっくり説明すると、対象発明は、製紙プロセスで使われる「シュープレス用ベルト」の外周面のポリウレタンの材料として「ウレタンプレポリマーと、ジメチルチオトルエンジアミンを含有する硬化剤」を用いたことを特徴とするものです。権利者はこの発明について、特定の硬化剤を用いることによってポリウレタンにクラックが発生することを防止できる(クラック発生防止)という顕著な効果を主張することで、特許は無効とはいえない(進歩性あり)とする知財高裁判決を勝ち取っています。

特許庁の無効審判では、主引例に記載のシュープレス用ベルトでポリウレタンに用いられた別の硬化剤は安全性が懸念されており、他方、副引例はより安全な硬化剤としてジメチルチオトルエンジアミンを記載していたので、両者を組み合わせれば本件発明は容易(進歩性なし)との判断でした。これを覆した判決により、一見容易とも思われるような発明が、顕著な効果を理由として進歩性が認められたわけです。日本での進歩性の審査基準(特許・実用新案審査基準 第Ⅲ部第2章第2節3.2.1)でいう「引用発明の有する効果とは異質な効果」に該当するとの判断と考えられます。

この「シュープレス用ベルト」の発明については、日本に加えて、欧州・米国でも特許出願がされていますが、その記録をたどると興味深い結果になっています。

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PCT国際出願、インドの国際調査

あまり目立たない記事ですが、特許庁のホームページに、7月1日付けで「国際出願関係手数料改定のお知らせ」が掲載されています。国際調査の手数料について、EPの手数料が値上げになり、加えて、新たにインド特許庁での国際調査の手数料が設けられたという内容です。

https://www.jpo.go.jp/system/patent/pct/tesuryo/pct_tesuukaitei.html

日本の特許庁にPCT国際出願を提出したら、国際調査も日本の特許庁に任せるのが普通と思われそうですが、他の選択肢もあります。PCT国際出願の書類(請求の範囲、明細書)を英語で作成した場合には、これまでも、国際調査を日本の特許庁以外に、欧州特許庁またはシンガポール知的財産庁に任せることができました。今回この国際調査の選択肢にインド特許庁が追加されたことになります。

注目すべきは国際調査の手数料です。以下にリストします:

インド特許庁の手数料は「ゼロが1つ足りないのでは?」と目をこすりたくなる額ですが、間違いではありません。出願人が法人の場合の額でさえ、人件費が賄えるのか?と心配になるぐらいの「激安」価格です。この額で請け負う国際調査の品質はどうなのか、気になるところですが、インドには特許調査のサービスを提供する民間企業も多く、一定以上の特許調査スキルを持った人材の層はかなり厚いと思われますので、十分な品質の国際調査が得られても少しもおかしくはないでしょう。

「そうは言っても、そもそも英語で国際出願すると初めから翻訳費用がかかってしまう。国際調査の結果を見て、権利が取れる見込みを確認できてから、翻訳作業を始められるのが国際出願のメリットではないのか?」と疑問を持たれる向きもあるかもしれません。確かに、翻訳のタイミングを遅らせることを重視して日本語で国際出願するユーザーは少なくないでしょう。

ただ一方で「(取れる権利の広狭はともかく)何としてでも特許権を確保したい」という意図でなされるような”虎の子”の国際出願では、国際調査の結果が多少厳しい内容であったとしても、結局は権利化の手続きを進めることになると考えられます。そういう、重要度の高い国際出願であれば、出願作成の段階で翻訳費用も投入して英語で国際出願することも合理的な判断ではないかと思います。

知財活動の国際化は一面において、各国特許庁間の競争をも促しているといえそうです。そういう観点で、今回のインド特許庁の国際調査は現実にどのくらいインパクトを与えるのか、今後の日本発のPCT国際出願で実際にどの程度利用されるのか、興味が持たれるところです。

コロナワクチンと知的財産

コロナウイルスへの対応は、世界的に変異株が拡大する中、ワクチン接種をどれだけ加速できるかという「時間との戦い」の様相を呈しています。そんな中で、5月5日付けでアメリカ通商代表部(USTR)が、コロナ関連の知的財産について権利主張の放棄を求めた、インドと南アフリカによる世界貿易機関(WTO)への提案(※1)を支持する立場を表明して、波紋を広げています(※2, ※3)。

報道では「特許放棄」という表現も散見されますが、議論されている「放棄(waiver)」は権利自体の放棄ではなく、権利の主張を(コロナ禍の収束まで一時的に)放棄する趣旨です。また、対象となる知的財産は「特許」に限定されず、インド他の提案では「TRIPS協定 第2部 第1節(著作権)、第4節(意匠)、第5節(特許)及び第7節(非開示情報)」と明示しています。

対象に特許が含まれるのは当然として、著作権が含まれることによりワクチン開発で利用されるソフトウェアの権利も、また意匠が含まれることによりワクチンの取扱いに関わる器具装置の権利も網羅されるのでしょう(ワクチン以外のコロナウイルス対策製品に目を向ければ、より幅広い技術に及びます)。注目すべきは、対象としてさらに非開示情報(undisclosed information)が含まれることで、日本で不正競争防止法で保護される営業秘密に加えて、薬事承認のために規制当局に提出された試験等のデータも含む概念とされています(第7節 第39条(3))。

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特許料の値上げについて

「特許法等の一部を改正する法律案」が、本年3月2日に閣議決定されました:https://www.meti.go.jp/press/2020/03/20210302003/20210302003.html

開会中の第204回通常国会に提出予定とのことですので、通例に従えば、会期内に現状の改正案のまま成立するでしょう。改正項目は多岐にわたりますが、ここでは料金体系の見直しについて取り上げたいと思います。

改正案によれば、特許料を定める特許法第107条が、以下のように改訂されます(実用新案、意匠、商標についても同様な改訂がされます):

第百七条(現行法・・・特許料として、特許権の設定の登録の日から・・・満了までの各年について、一件ごとに、次の表の上欄に掲げる区分に従い同表の下欄に掲げる金額を納付しなければならない。<「表」の数値は下記を参照>

第百七条(改正案・・・特許料として、特許権の設定の登録の日から・・・満了までの各年について、一件ごとに、六万千六百円を超えない範囲内で政令で定める額に一請求項につき四千八百円を超えない範囲内で政令で定める額を加えた額を納付しなければならない。

従来は「表」に具体的に定めていた特許料を「政令で定める額」とすることで法改正を待たずに柔軟に変更できるようにしつつも、上限を設けることで「トンデモない金額にすることはありません」とアナウンスしている感じでしょうか。

改正後の条文をパッと見ると、あたかも登録後の年数にかかわらず一律の特許料の支払いを求めているかにも読めてギョッとしますが、さすがにそういう過激な変更はないであろうと予想します。何れにしても改正後の特許料が結局いくらかなのかは「政令」の公表を待つことになります。

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発明の「予測できない顕著な効果」とは

本年もよろしくお願いします。だいぶサボっていましたが、ブログを再開したいと思います。

昨年後半、勉強会など複数の場で、発明の効果について判断した最高裁判決(令和1年8月27日判決、平成30年(行ヒ)第69号)を検討する機会がありました。発明の効果は、特許の権利化で必ずといってよいほど議論される論点で、これを最高裁があえて取り上げ、結果として特許を認めやすくする方向の判断をしたことは、今後の実務への影響も大きいといえるでしょう。

最高裁判決については多くの論文等が出されていますので、ここでは非常にざっくり紹介します。対象発明は特定の化合物(本件化合物)を点眼剤とする用途発明で「ヒスタミン遊離抑制」という効果を発揮します。第三者が特許の無効化を求めたことから始まった事件が紆余曲折を経て最高裁まで持ち込まれ、先行する原審判決(平成29年(行ケ)第10003号)では知財高裁が発明の効果について「予測できない顕著なものとはいえない」としたのに対して、最高裁は、知財高裁の判断手法が適切でないとして事件を差し戻したものです(*1)。判断手法が適切でない理由を、最高裁は具体的に次のように述べています:

『・・本件化合物と同等の効果を有する本件他の各化合物が存在することが優先日当時知られていたということのみから直ちに、本件各発明の効果が予測できない顕著なものであることを否定して本件審決を取消したものとみるほかなく、このような原審の判断には、法令の解釈適用を誤った違法がある』

少し補足すると「本件他の化合物」は、主引例ではなく他の公知文献に記載された化合物で、本件化合物とは「構造を異にする」とされています(化学分野では一般に、ある化合物の効果から、構造が異なる化合物の効果を予測することは難しいと考えられる傾向がある)。主引例には本件化合物の効果は示されていなかったものの、他の公知文献の「本件他の化合物」に関する情報を参考にすれば、本件発明の効果は「予測できない顕著なもの」ではない、と原審判決が考えたのに対して、最高裁は、そうともいえない、もっと良く考えなさい、と指示したような具合です。

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