知財業務でのAI活用について(雑感)

日経産業新聞の「知財AI、企業の助っ人に 出願書類作成が『適法』認定」という記事に触れ(電子版;8月18日付け)、時間を置いてから再読し、少し考えてみました。 https://www.nikkei.com/article/DGXZQOUC122VC0S2A710C2000000/

ある企業がAIによる出願書類作成サービスを利用することで「1週間ほどで書類を作成し特許庁に出願」できたという事例の紹介から始まる記事で(括弧内は記事本文からの引用、以下同じ)、AIのサービスを利用することで「従来のように特許事務所に依頼すると出願までに最低でも約1カ月かかる」という問題を解消できたのだそうです。

記事に付された図表中では(AI活用により)「数日で特許出願が可能に」なるところ、(AIを使わない従来のやり方では)「出願まで数カ月も」とされ、AIによるスピードアップが殊更に強調された記載ぶりとなっていて、少々違和感が残るところではあります。

まあその点は措くとしても、取引のある顧客から緊急事態なので急いで出願書類を作成してほしいと頼まれれば、一般的な特許事務所は「最低でも約1カ月かかる」などと言わずに、一日でも早く出願できるように協力すると思います。

・・とはいえ、筆者は決してAIの活用に反対ではなく、大いに結構だと思っています。以下にその理由を記します。

“知財業務でのAI活用について(雑感)” の続きを読む

マルチマルチクレームの制限について -特許実務からの考察-

早いもので、もう年度末。明日(令和4年)4月1日からの特許出願ではマルチマルチクレームが制限されることになります。

特許庁が今月公表した資料(「マルチマルチクレーム制限について」;以下、単に「資料」といいます)に記載された例を借りると、特許請求の範囲が以下のような場合:

ここで請求項3(マルチクレーム)はOKだが、請求項4(マルチマルチクレーム)はNGで拒絶されるわけです。

マルチクレームとマルチマルチクレームの違いは理論的には明確でしょうが、個人発明家や中小企業などで弁理士を介さずに自ら特許出願したい方などにとって、すんなり把握できるものなのかどうか少々疑問が残ります。少なくとも当面はある程度の混乱が生じるかもしれません。

今回の制限を設けた理由として、特許庁の資料は「国際調和並びに審査負担及び第三者の監視負担の軽減の観点から」である、と説明していますが、元々の拠り所になった「産業構造審議会基本問題小委員会での議論」(令和3年2月3日の基本問題小委員会「とりまとめ」参照)では、もっぱら審査負担を軽減する目的が強調されています。そもそも後者で指摘されている問題点は:

「引用形式を採らない場合に記載される請求項の数(実質的な請求項の数)」が 1000 以上になる出願が約 5%存在しており、このような特異な出願によって、審査に過度な負担が生じている。」( 「とりまとめ」第1、1.(1)の「課題①」)

というものであり、請求項の数が多くかつマルチマルチクレームが多用された「約 5%」の「特異な出願」の存在が課題であったはずが、いつのまにか全ての特許出願に影響する制限の新設につながっているのは、どこかで論点がすり替えられたような印象もなきにしもあらずといったところです。

“マルチマルチクレームの制限について -特許実務からの考察-” の続きを読む

欧州統一特許制度の進展 -暫定適用の開始を受けて-

EU域内で「1つの特許」を「1つの裁判所」で権利主張できるようにする、欧州統一特許/統一特許裁判所(UP/UPC)の制度については、2017年の運用開始が期待されたていたところ、その合憲性についての争いがドイツ国内で続いたため長らく停滞した状況にありました。昨年8月のドイツ憲法裁判所の判断により争いが決着し、ようやくUP/UPC制度が動き出しました。(注:UP=Unitary Patent には「欧州単一特許」「欧州単一効特許」などの訳語が使われることもありますが、本稿では便宜上「欧州統一特許」と表記します。)

その後、統一特許裁判所(UPC)協定の暫定適用のためのプロトコール(注:UPC協定そのものではない)をドイツ、スロベニア、オーストリアが批准したことで、必要な批准の数が揃い、本年1月19日付けで暫定適用期間(PAP)の開始が宣言されました。UPC準備委員会によればPAPは少なくとも8か月続くとされており、その間に、裁判官の採用や裁判所のインフラ整備などが行われるようです。準備が整ったところでドイツがUPC協定を批准すると、それから4か月目の月の初日にUPC協定が発効し、UP/UPC制度の運用が開始されます。

UPC協定が結局いつ発効するのかについては「少なくとも8か月」+「4か月」で2023年初め以降になるという見方と、「4か月」は「少なくとも8か月」の内枠に収まるので2022年中の発効も可能という見方があるようですが、「少なくとも8か月」が「8か月」で済むのかもはっきりしない状況で、あまり気にしても仕方がないかもしれません。

当面、より気になるのは、いわゆるサンライズ期間がいつ始まるのか? の方でしょう。UPC協定が発効するまで何もしないでいると、発効以前に成立または出願された欧州特許(欧州特許出願に基づいて欧州各国で取得した特許)もUPCの裁判管轄に服することになります。それを望まないのであれば、適用除外(オプトアウト)の手続を行う必要があり、そのために設けられるのがサンライズ期間です。

“欧州統一特許制度の進展 -暫定適用の開始を受けて-” の続きを読む

「顕著な効果」について、若干の国際比較

以前の記事でも取り上げましたが、特に化学・バイオ分野でしばしば議論になる、発明の顕著な効果について、もう少し考察してみたいと思います。

この種の論点が取り上げられる知財判決は医薬分野のものが非常に多く、概要を把握するためにまず技術の詳細を理解しないといけない点がハードルになる場合もあります。その意味で、特許判例百選[第5版](有斐閣、2019年)に掲載の判例69(シュープレス用ベルト事件;平成24年(行ケ)第10004号)は、特許の技術内容が比較的シンプルであり、検討の素材として扱いやすいといえそうです。本稿は、この判例について、日欧米の比較検討を試みます。

判例の事案をざっくり説明すると、対象発明は、製紙プロセスで使われる「シュープレス用ベルト」の外周面のポリウレタンの材料として「ウレタンプレポリマーと、ジメチルチオトルエンジアミンを含有する硬化剤」を用いたことを特徴とするものです。権利者はこの発明について、特定の硬化剤を用いることによってポリウレタンにクラックが発生することを防止できる(クラック発生防止)という顕著な効果を主張することで、特許は無効とはいえない(進歩性あり)とする知財高裁判決を勝ち取っています。

特許庁の無効審判では、主引例に記載のシュープレス用ベルトでポリウレタンに用いられた別の硬化剤は安全性が懸念されており、他方、副引例はより安全な硬化剤としてジメチルチオトルエンジアミンを記載していたので、両者を組み合わせれば本件発明は容易(進歩性なし)との判断でした。これを覆した判決により、一見容易とも思われるような発明が、顕著な効果を理由として進歩性が認められたわけです。日本での進歩性の審査基準(特許・実用新案審査基準 第Ⅲ部第2章第2節3.2.1)でいう「引用発明の有する効果とは異質な効果」に該当するとの判断と考えられます。

この「シュープレス用ベルト」の発明については、日本に加えて、欧州・米国でも特許出願がされていますが、その記録をたどると興味深い結果になっています。

“「顕著な効果」について、若干の国際比較” の続きを読む

PCT国際出願、インドの国際調査

あまり目立たない記事ですが、特許庁のホームページに、7月1日付けで「国際出願関係手数料改定のお知らせ」が掲載されています。国際調査の手数料について、EPの手数料が値上げになり、加えて、新たにインド特許庁での国際調査の手数料が設けられたという内容です。

https://www.jpo.go.jp/system/patent/pct/tesuryo/pct_tesuukaitei.html

日本の特許庁にPCT国際出願を提出したら、国際調査も日本の特許庁に任せるのが普通と思われそうですが、他の選択肢もあります。PCT国際出願の書類(請求の範囲、明細書)を英語で作成した場合には、これまでも、国際調査を日本の特許庁以外に、欧州特許庁またはシンガポール知的財産庁に任せることができました。今回この国際調査の選択肢にインド特許庁が追加されたことになります。

注目すべきは国際調査の手数料です。以下にリストします:

インド特許庁の手数料は「ゼロが1つ足りないのでは?」と目をこすりたくなる額ですが、間違いではありません。出願人が法人の場合の額でさえ、人件費が賄えるのか?と心配になるぐらいの「激安」価格です。この額で請け負う国際調査の品質はどうなのか、気になるところですが、インドには特許調査のサービスを提供する民間企業も多く、一定以上の特許調査スキルを持った人材の層はかなり厚いと思われますので、十分な品質の国際調査が得られても少しもおかしくはないでしょう。

「そうは言っても、そもそも英語で国際出願すると初めから翻訳費用がかかってしまう。国際調査の結果を見て、権利が取れる見込みを確認できてから、翻訳作業を始められるのが国際出願のメリットではないのか?」と疑問を持たれる向きもあるかもしれません。確かに、翻訳のタイミングを遅らせることを重視して日本語で国際出願するユーザーは少なくないでしょう。

ただ一方で「(取れる権利の広狭はともかく)何としてでも特許権を確保したい」という意図でなされるような”虎の子”の国際出願では、国際調査の結果が多少厳しい内容であったとしても、結局は権利化の手続きを進めることになると考えられます。そういう、重要度の高い国際出願であれば、出願作成の段階で翻訳費用も投入して英語で国際出願することも合理的な判断ではないかと思います。

知財活動の国際化は一面において、各国特許庁間の競争をも促しているといえそうです。そういう観点で、今回のインド特許庁の国際調査は現実にどのくらいインパクトを与えるのか、今後の日本発のPCT国際出願で実際にどの程度利用されるのか、興味が持たれるところです。